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東京高等裁判所 昭和26年(う)3116号 判決

控訴人 原審検察官

被告人 長谷川金四郎

検察官 軽部武関与

主文

原判決を破棄する。

本件を前橋地方裁判所に差し戻す。

理由

検察官の控訴趣意は末尾に添付した別紙書面記載のとおりであつてこれに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点について

記録を調査するに本件の起訴は被告人が貸金業者でないのにかかわらず狩野元雄外三名に対し、合計十五回にわたる金銭の貸付をなして貸金業を行つたものであるとの公訴事実につき、貸金業等の取締に関する法律第五条、第十八条の適用を求めたものであるのに対し、原判決は右貸金業等の取締に関する法律にいわゆる貸金業とは「不特定多数人に対し貸金をなし、又は貸金を反覆累行して利息を徴し利を図ることをいう。」との意義に解すべきものとし被告人の本件所為はかかる意味における貸金業には該当しないものであると認めて、刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をしたもののようであつて、所論は、原判決の右法律解釈が誤りであると主張するのである。よつて案ずるに昭和二十四年五月三十一日法律第百七十号貸金業等の取締に関する法律第五条には「貸金業者でなければ貸金業を行つてはならない。」と、又同法律第十八条には「左の各号の一に該当する者は、三年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。一、第五条の規定に違反して貸金等を行つた者(以下略す)」とそれぞれ規定しているが右の「貸金業者」の意義については同法律第二条第三項に「この法律において「貸金業者」とは貸金業を行う者で第四条第二項の規定による届出受理書の交付を受けたものをいう」と又右「貸金業」の意義については同法律第二条第一項に「この法律において「貸金業」とは何らの名義をもつてするを問わず金銭の貸付又は金銭の貸借の媒介をする行為で業として行うものをいう(以下略す)」と各規定しているのであるから同法律によつて取締の対照とされる「貸金業」とは前示のとおり金銭の貸付(手形の割引売渡担保その他これらに類する方法によつてする金銭の交付は、同法律第二条第二項によつて同条第一項の金銭の貸付とみなされる)又は金銭貸借の媒介をする行為で業として行うものを指称するものであつて換言すればここにいう「貸金業」とはその内容は金銭の貸付又は金銭貸付の媒介をする行為であるがその態様としてはこれらの行為を業として行うことを要件とするものと言わなければならない。而して右にいわゆる「業として行う」との意義については原判決と検察官の所論との間にその見解を異にしているようであるが前示貸金業等の取締に関する法律にあつてはその第一条において「この法律は貸金業等の取締を行いその公正な運営を保障するとともに不正金融を防止しもつて金融の健全な発達に資することを目的とする」と規定して、同法律の目的精神を明らかにしているのであるからこの目的精神に照らして考察するときは、同法律第二条第一項所定の「業として行う」とは反覆して行う意思の下に同項所定の金銭の貸付又は金銭貸借の媒介行為を行うことを指称するものと解するのが相当であつて、原判決の見解の如く単に金銭の貸付のみをその内容とするものではないと同時に事実上の取引としては右のような意思の下に金銭の貸付又は金銭貸借の媒介行為等を行う場合には通常利息又は手数料その他の名義によつて金銭を徴し利を図る場合が多いであろうけれどもこの利を図ること即ち営利を目的とすることは必ずしもその要件とするところではないと解すべきであるから、原判決が同法律所定の「貸金業」の意義について示した「不特定多数人に対し貸金をなし又は貸金を反覆累行して利息を徴し利を図ることをいう」との見解は前示のような同法律第一条所定の同法律の目的並びに同法律第二条第一項所定の明文に照らしやや狭きに失して妥当であるとは言い難く従つて原判決はこの点において同法律の解釈を誤つたものと言わなければならない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 坂本謁夫)

検察官の控訴趣意

第一点原判決は法令の解釈適用を誤りその誤が判決に影響を及ぼすこと明かであるから到底破棄を免れないものと信ずる。

(一)原判決理由第五は「元来貸金を業とするということは不特定多数人に対し貸金をなし又は貸金を反覆累行して利息を徴し利を計ることを言うものと解するのが相当である。福井実、狩野元雄の両名は何れも被告人と懇親の間柄であり……斯くの如き状況の上になされた本件貸金は反覆累行して貸金をなし利を図つたと言う所謂貸金業には該当しないとするのが相当であると解すべきであろう」と判断した。しかし

(1) 貸金業等の取締に関する法律(以下本法と称す)第二条は「この法律に於て貸金業とは何等の名義をもつてするを問わず金銭の貸付又は金銭の貸借の媒介をする行為で業として行うものをいう」と規定しているのであつて、反覆累行し若くは反覆累行する意思を以て行われたことを要件とするけれども、利息を徴し利を計ること即ち営業たることを要しないことは明かである。本法の目的に徴しても独り高利を貧るものを取締るのみならず広く業として貸金を行うものをして届出を為さしめ以て民間金融を規整せんとするものであるから利息の有無、高低は問うところではないのである。まして本件に於ては被告人は何れも利息を徴して利を計つているのであるから原判決の判断は全く其の理由がない。

(2) 又原判決は借主である福井実、狩野元雄の両名が何れも被告人と懇親の間柄であり当時営業の資金に窮しておつたため被告人に融資方を依頼したものであつて斯くの如き状況の下に於ては所謂貸金業には該当しない旨判断した。

しかし被告人と借金主との間が親密であつたことや借主が資金に窮していたことは本件貸借を為すに至つた動機に過ぎないのであつて、斯様な動機に基く貸金が本法に謂う貸金業に非ずとなす何等の理由はない。殊に無担保貸付、手形貸付の実態は相互に信用し得る知己の間にのみ行われるのであつて、未知の者に信用貸をする筈はないのである。更に又借主が資金に窮していたからこそ借用の申込をしたものであつて資金に窮しないものが借用する筈はないのであるから、之を理由として貸金業に非ずと判断するが如きは全く意義のないことである。まして本件に於ては、被告人と借主との間は単に知合関係に過ぎないのであつて、其の間には親戚其の他之に類するが如き身分関係はなく、その資金の用途も亦家族的のものではないのであつて、事業上必要な資金を約束手形により月一割乃至一割二分という高利で貸与しているのである。果して然らば親交ある知人間の貸借関係なるが故に直ちに本法に謂う貸金業に該当せずとする何等の理由がないのみならず、本件に於て右福井実、狩野元雄に対する貸金を目して本法の範囲外なりと認定する何等の根拠はないのである。

然るに原判決は本法にいう貸金業とは、利息を徴して利を図ることを要し、友人間の貸借は本法に謂う貸金業の範囲外であるとの誤つた見解に基いて本件を判断したものであつて之は明らかに貸金業等の取締に関する法律第二条の解釈を誤り罪となるべき事実に法律を適用しない誤があるものである。

(二)原判決第三、第二項は「斯くの如くにすれば狩野元雄は現実に十九万円借受けた後内五万円弁済したに拘らず尚別紙一覧表(2) 乃至(14)の債務合計百十九万円の債務があつたか残存するということになりその非常識たることは何人も認めるであろう」と判断した。

その意は要するに狩野元雄が被告人から現実に金銭を借受けたのは十九万円であり、その中五万円を返済しているに拘らず本件起訴狩野が尚合計百十九万円の債務を有したか若しくは残存するというのであるから非常識であると謂うのであつて、本法にいう貸金は現実に金銭の授受が行われた場合にのみ成立するものと解しているようである。

しかし本法にいう貸金が現実に金銭の授受が行われた場合のみ成立するものと解することは狭きに失する。本法にいう貸金とは要するに金銭の消費貸借をいうのであつて消費貸借は相手方より金銭を受取るに因り其の効力を生ずるものであるから現実に金銭の授受が行われる場合が多いけれども、ここに受取るとは現実の授受が直接に行われる場合に限られないのである。現実の金銭授受は省略されても経済的に見て金銭の授受に等しい価値の移転が行われた場合にはそれについて直ちに金銭の消費貸借が成立するものと解すべく之を以て本法にいう貸金なりとして何等支障はないのである。このことは過去の消費貸借上の債務をもつて新たな消費貸借の目的とすることも亦民法第五百八十八条に所謂準消費貸借に該当する旨の大審院判例(大正一一年一月二四日民事判決録第一一頁)趣旨に徴しても明かである。

然るに原判決は前示の外原判決第三の第四項に於ても「而して新債務が成立し受取つた金銭で旧債務を弁済したと主張するならば一応筋は通るけれども云々」とも説示し、消費貸借の要物性を固執するの余り当事者間に於て直接現実に金銭の授受が行われなければ本法にいう貸金に該当しないとの前提の下に本件を判断したものであつて之は本法第二条の解釈適用を誤つた違法があるものと謂うべきである。

又原判決は「(2) 乃至(14)の債務合計百十九万円があつたか残存すると言うことになり云々」と判断したが、本法に謂う貸金業の認定には貸金が業として行われたか否かを判定すれば足るのであつて、債務でいくばく残存するか否かにより判断すべきでないことは明かである。起訴状に合計百二十六万円と記載されている意味は貸金額の合計を参考のため記載したに過ぎないのであつて現在債務が百二十六万円存在することを表示し主張したものではないのである。それらの債務は曽て存在したことのある額の合計として意義を有するに過ぎないのであつて、現存するかどうかは敢えて問うところではないのである。然るに原判決は前示の如く(2) 乃至(14)の債務合計百十九万円があつたか残存すると言うことになるから理由がないと説示しているのであつて之は明かに理由に齟齬があるか若しくは本法第二条の解釈を誤つたものと謂う外はない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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